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2022年3月25日金曜日

はじめに:オリオン星座の日々へ

(永岡崇・日沖直子編『第二次大本事件獄中書簡資料集―星座たよりー』駒澤大学総合教育研究部文化学部門永岡研究室、2022年3月より転載。文中に「本資料集」とあるのはこの冊子のこと)


 この資料集は、1935年12月にはじまる第二次大本事件において、獄中にあった出口王仁三郎と妻の出口すみ、および彼らの娘婿にあたる出口新衛が家族らに宛てて書き送った書簡の目録と、書簡の一部の翻刻を中心として、研究者による解説を付したものである。これらの書簡は、新衛の三女である出口雅子氏が京都府亀岡市の自宅に所蔵しているもので、雅子氏には資料集としての公開をご快諾いただくとともに、序文を寄せていただくことができた。なお、資料の概要については、本資料集所収の日沖直子「第二次大本事件未決囚の「獄中書簡」―出口雅子氏所蔵書簡史料について」を参照されたい。

 近代日本における最大の宗教弾圧といわれる第二次大本事件は、これまでさまざまな角度から論じられてきた。たとえば天皇制国家(あるいは国家神道)と民衆宗教の対立構図を象徴するものとして、治安維持法体制の強化・変容を示すものとして、特高警察の暴力的な捜査・尋問の典型として、そして過酷な弾圧を耐え抜いた信者たちの信仰の精華として(1)。これらの諸研究を見わたすと、主として“検挙にいたるまでの過程”と“監獄の外側”に関心が集中してきたように思われる。その一方で、“監獄の内側”に閉じこめられた王仁三郎らの動向だけが、ブラックボックスのまま取り残されてきたのではないだろうか。もちろん彼らの動向といっても、狭い獄中にあって外部との交信も厳しく制限された状況で、はたして検討に値する内実があったのか、という疑問も出されてしかるべきだろう。

 しかし、拘留期間が最長だった王仁三郎と出口伊佐男(三女・八重野の夫で、王仁三郎の側近として活躍)の場合、獄中生活は1935年12月から42年8月まで、じつに6年8ヶ月に及んでおり、等閑にするにはあまりにも長すぎる。つねに時代と切り結びながら激しく活動してきた王仁三郎が、監獄のなかでどのように来し方を振り返り、日中戦争から太平洋戦争にいたる総力戦の時代をまなざしていたのか、きわめて興味深い問題がそこには横たわっているはずだ。

 出口王仁三郎研究におけるこの6年8ヶ月の意味を考えるうえで、「籠り」についての川村邦光の議論は示唆的である。川村は、中山みき(天理教)や出口なお(大本)、北村サヨ(天照皇大神宮教)のような新宗教の教祖たちが、はじめての神がかりのあと、能動的/受動的に一定期間の「籠り」を経験していることに着目した。みきは屋敷内の蔵で、なおは座敷牢で、サヨの場合は山の中で孤独な時を過ごしている。川村によれば、そこは神がかりを契機に彼女たちに焼き付けられた「狂気」の烙印、スティグマを自覚的に引き受け、自己神化を遂げるための象徴的空間だった。外界に出たあと、地域を巡り、籠りの空間で充填された霊威を発揮することで、彼女たちの帯びたスティグマはカリスマへと転換させられ、地域の巫者的存在として認められていく。さらに幾度かの籠りと巡りを繰り返しながら、彼女たちは新たな宗教伝統の教祖へと変貌を遂げていったのだという(2)

 王仁三郎の場合にも、籠りと巡りという主題が反復され、それらが新たな局面を切り開いていったことを指摘できる。彼は高熊山への籠りを宗教家としての出発点とし、第一次大本事件での拘留は『霊界物語』の口述や入蒙をはじめとする国際的活動への転換をもたらす契機になった。では、第二次大本事件での長い籠りはどうか。1942年夏の保釈、あるいは45年の事件終結から48年の死まで、王仁三郎に残された時間はそれほど多くなかったが、彼はこの間に、万教同根・平和主義にもとづく戦後大本教団の基本的方針を指し示す役割をはたした。戦後、第二次大本事件は大本の戦争への非協力を体現するものとなり、王仁三郎らの籠りの経験は“法難”として新たな光を放つようになったのである(3)

 王仁三郎は、監獄を「オリオン星座」と呼んでいた。星の配列が「囚」の字に似ているところからだという(4)。保釈後に獄中を回顧した歌集『朝嵐』のなかで、彼は「一息の風さへ入らぬオリオンの星座にあれば汗のにじむも」「夏の日の星座の暑さ苦しみをなめつつ友の身を思ふかな」などと詠っている(5)。とはいえ、彼はたんに獄中の厳しさを嘆いていただけではなかった。たとえば「現世の穢れを洗ひ清むべき修行するなるオリオン星座よ」という歌には、籠り修行の場としての監獄というイメージがはっきりと表れているし、「オリオンの星座はげにもせまけれど太平洋の如く広かり」では、籠りの場の空間的な狭隘さを突破する精神的な広大さが謳われている(6)。「オリオン星座」は王仁三郎の著作にしばしば登場するイメージで、第二次大本事件で破壊された亀岡の月宮殿は「オリオン星座を地にうつす」ものだとされ(7)、彼の背中にある黒子が「オリオン星座」の形をしていたともいわれている(8)。それは王仁三郎自身や大本の聖地をも表す複雑な象徴性を帯びていたのであり、監獄という場もこうした意味連関のなかで理解する必要があるように思われる。

当時の王仁三郎の心象をうかがう手がかりとしては、上述の『朝嵐』があるほか、信者の木庭次守が直接・間接に見聞きした言行録『新月の光』などが知られている。これらの史料の重要性はいうまでもないが、監獄という現場で書かれた一次的な史料として、本資料集で紹介するものをふくめた書簡類にも大きな意義が認められるだろう。雅子氏所蔵の王仁三郎書簡は1936年5月から41年5月にかけての73通、そのほとんどが娘たちに宛てたものである。『新月の光』が王仁三郎の断片的な予言や教え、裁判の趨勢をめぐる意見などを中心に収録しているのに対して、これらの書簡は家族への配慮や自身の体調、差し入れ品についてなど、非政治的・非宗教的な話題が大半を占めている点に特徴がある(もちろん、そこに獄中からの通信に対する検閲の影を読み取ることはたやすい)。強力なカリスマで信者を魅了し、社会に旋風を巻き起こした宗教指導者としての顔とは異なる、“父”としての王仁三郎の一面が表れていると、とりあえずはいえる。

 ただし、王仁三郎における公と私、社会・教団と家庭を単純に分離してよいかどうかには、留保が必要なのではないだろうか。第二次大本事件勃発から半年ほどが経過した1936年夏ごろの書簡で、王仁三郎は娘たちに長女の朝野(長女で戦後に三代教主となる出口直日のこと)を支えるよう、繰り返し訴えていた。主要幹部が投獄されているなかで、「今日の処朝野が肝心の人」(資料053)なのであり、「朝野に/色々言つてやり度くそして安心/させ度候けれども■■■■■■■/■■自由を得ず」(資料323、■は検閲による削除)と、もどかしい思いを吐露しているのである。朝野自身、警察の監視下で転居を余儀なくされ、この年6月末から1週間綾部署に留置されるなど、過酷な生活に心身を疲弊させていた(9)。王仁三郎も「朝野/はこの侭にしておいたらヒスになる/かと 日頃案じてゐます」(資料328)と、彼女の体調に不安を感じていたことがわかる。また、11月には「私も朝野にはしか/られ梅のにはおこられてし/まひました・もうたよりも/みあはすつもりでおります/おやの心は今の人には中々/わかりません」(資料041)と記している。朝野に何を「しかられ」たのかは不明だが、王仁三郎は留守を預かる朝野らとの行き違いに心を痛めていたようだ。これらの資料は、王仁三郎と後継者・直日との関係性について考えるうえで示唆的であり、そこに垣間見える王仁三郎の“弱さ”は、宗教家としての彼の変化、もしくは多面性の理解にもつながる可能性がある。もちろん、今回紹介する書簡類から明らかにしうることには限界があるのだが、各所に分散して存在するであろう他の書簡が発見され、読み解きが進められれば、監獄における王仁三郎のイメージが明瞭に浮かび上がってくるのではないだろうか。

 王仁三郎の話が長くなったが、出口すみや出口新衛の書簡にも重要な歴史的意味がある。母・出口なおの筆先を彷彿させる独特の書体で書かれたすみの書簡からは、家族から送られてくる写真を楽しみに待つ獄中の暮らしがよく偲ばれるが、それだけではない。幼い孫娘に宛てた手紙のなかで、すみは「きよわめでたき/よきひなりせかいの/にほんにしたがうしるしび」(資料077)という歌を記している。日付は1942年2月18日、シンガポール陥落を受けて大東亜戦争戦勝祝賀第一次国民大会が開かれた日である。戦後、世界連邦運動を熱心に支持することになる彼女の、事件当時の戦争観を考えるうえで重要な資料だといえるだろう。

 一方、新衛は一般によく知られた人物とはいえないが、本資料群のなかで量的にもっとも多く、戦時期に獄中にあったひとりの人物の生活と思考のまとまった記録として貴重である。家族に対する思いのほか、短歌や読書、食養生、坐禅といった彼の関心事をめぐる記述も興味深い。監獄史におけるこれらの書簡の意義については、本資料集所収の兒玉圭司「監獄制度史(行刑史)研究からみた本史料の意義」を参照していただきたい。

 本資料集は、第Ⅰ部「解説編」と第Ⅱ部「資料編」から構成されている。資料編では、書簡の写真を一部掲載するとともに、とくに重要と思われる書簡を選んでその翻刻文を公開する。巻末には、すべての書簡資料の目録を掲載している。また、理解の便宜のため、出口家の略系図および関連の年表も付した。


 なお、本資料集は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)「複眼的視点からの大本教研究―データベース構築と国際宗教ネットワークの研究」(研究代表者:對馬路人、2015~2017年度、課題番号15K02068)、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)「日本新宗教史像の再構築―アーカイブと研究者ネットワーク整備による基盤形成」(研究代表者:菊地暁、2018~2021年度、課題番号18H00614)による成果の一部である。



(1)たとえば村上重良『近代民衆宗教史の研究』法藏館、1958年、大本七十年史編纂会『大本七十年史』下巻、宗教法人大本、1967年、小池健治・西川重則・村上重良『宗教弾圧を語る』岩波新書、1978年、川村邦光『出口なお・王仁三郎―世界を水晶の世に致すぞよ』ミネルヴァ書房、2017年、など。また、本資料集所収の出口雄一「法制史の観点からみた第二次大本事件」も参照されたい。

(2)川村邦光「スティグマとカリスマの弁証法―教祖誕生をめぐる一試論」『宗教研究』253号、1982年、参照。

(3)永岡崇『宗教文化は誰のものか―大本弾圧事件と戦後日本』名古屋大学出版会、2020年、参照。

(4)木庭次守編『出口王仁三郎玉言集 新月の光(下)』八幡書店、2002年、参照。

(5)上田正昭編『出口王仁三郎著作集 第5巻』読売新聞社、1973年、232頁。

(6)同書、240・231頁。

(7)出口王仁三郎『水鏡―如是我聞』第二天声社、1928年、209頁。

(8)井上留五郎『暁の烏』天声社、1925年、参照。

(9)大本本部編『天地和合―大本三代教主出口直日の生涯』天声社、2015年、参照。




2016年8月6日土曜日

書いたもの(新しい順)



【単著】

『新宗教と総力戦―教祖以後を生きる』、単著、2015年9月、名古屋大学出版会、368p.
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【共著・編著】





















『日本宗教史のキーワード―近代主義を超えて』、共編(大谷栄一、菊地暁)、2018年8月、慶應義塾大学出版会、450p.
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『近代日本の偽史言説―歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』、共著(小澤実編)、2017年11月、勉誠出版、392p.(執筆担当部分:第3章「近代竹内文献という出来事―〝偽史〟の生成と制度への問い」、pp.90-120 (31p.))
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『学問をしばるもの』、共著(井上章一編)、2017年10月、思文閣出版、384p. (執筆担当部分:「特高警察と民衆宗教の物語」、pp.95-109 (15p.))
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『撰集 近代日本における宗教と科学の交錯』、共編(金承哲、T・J・ヘイスティングスほか5名)、2015年5月、南山宗教文化研究所、657p.
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『ザ・タイガース研究論』、共著(磯前順一、黒崎浩之共編)、2015年2月、近代映画社、210p.(執筆担当部分:「ザ・タイガース 紙媒体露出記録リスト」水内勇太ほか4名と共著、pp.150-167)
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 『語られた教祖―近世・近現代の信仰史』、 共著(幡鎌一弘編、宮本要太郎ほか5名)、 2012年3月、法藏館、270p.(執筆担当部分:第2章「新宗教文化の脱教団的展開―教祖研究の〈作法〉をめぐって」、pp.29-60(32p.))
本の紹介

『聖地再訪 生駒の神々―変わりゆく大都市近郊の民俗宗教』、共著(宗教社会学の会編、飯田剛史、三木英ほか11名)、2012年3月、創元社、278 p.(執筆担当部分:コラム「被調査者の反応、そして拾い損ねたことどもについて」、pp. 258-259(2 p.))
本の紹介

『憑依と近代のポリティクス』、共著(川村邦光編、ほか5名)、2007年2月、青弓社、245p. (執筆担当部分:第2章「歴史の記述と憑依―飯降伊蔵の「おさしづ」と親神共同体をめぐって」、pp. 87-113(27p.))
本の紹介


【論文】

「世界連邦主義と大本―人類愛善-平和運動の軌跡(上)」、単著、2019年3月、大谷栄一編『戦後日本の宗教者平和運動のトランスナショナル・ヒストリー研究』佛教大学社会学部大谷研究室、pp.121-133.(13p.)

「神国〈キッチュ仏教〉の世界―初期「生長の家」と「釈迦」たち」、単著、2018年10月、『現代思想』46巻16号、pp.243-256.(14p.)

「近代日本と民衆宗教という参照系―安丸良夫における「論理」と「活力」」、単著、2017年11月、『日本史研究』(日本史研究会)663号、pp.42-62.(21p.)
 本稿は、安丸良夫の思想史研究のなかでもきわめて重要な位置を占める、民衆宗教についての諸テクストを批判的に読みなおし、新たな展開可能性を探ろうとするものである。安丸のテクストにおいては、日本の民衆と民衆宗教とのあいだに、提喩的な関係が見出されていた。そうであれば、近代日本と民衆宗教との関係を問うことは、近代日本と民衆との関係を問うということにもなるはずだろう。こうした提喩法が切りひらく視座と、その問題性とをともに点検する必要がある。
 まず、「つきつめ」「論理」「活力」という、相互に連関しあった三つの語を手がかりとして、安丸民衆宗教論の構造を浮かび上がらせ、その可能性の幅を検証する。安丸の民衆宗教論は、宗教がもつ不穏な潜勢力と手を結んでエリート主義的な歴史意識を切り裂き、歴史の主体についての観念の再編を要求するものであり、通俗道徳的エートスのもつ両義性の発見、その「つきつめ」による民衆宗教の「論理」の抽出は、日本の歴史学に決定的な転換をもたらした。だが、つねにすでに失われた「本当の願望」への執着が、「論理」の外部への視野を制限してしまったことは否定できないだろう。
 他方で、安丸は人びとが発揮する不定形な「活力」への関心を持続させていた。それは民衆宗教運動を存立させ、駆動させるものでありながら、彼にとっては「論理」の領域を侵食する脅威ともなる。安丸はこの「活力」を前に立ち止まり、充分に分節化することができなかったといえるかもしれない。だが、「論理」と「活力」の緊張関係から、「歴史の縦深的な構造」の解明へとあらためて出立することができるはずだ。
 民衆宗教の集団性をつくりあげる「活力」が、教祖たちの「論理」とどのように切り結び、それを編成替えしていったのか、そしてそこから近代社会の全体性はどのように展望しうるのか。それは、残された者が引き受けて考えていくべき課題である。

"Revisiting the Rush Hour of the Gods: The People’s Religions of Après la Guerre and Postwar Japan", translated by Murayama Yumi, Asian Journal of Religion and Society, Korean Association for the Sociology of Religion, Volume 5 , Number 2, July 2017, pp.91-120.(30p.)

「霊魂をとらえ損ねる―神の声から考える民衆宗教大本」単著、2015年12月、『人文學報』(京都大学人文科学研究所)108号、pp.143-157.(15p.)
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 本稿は, 近代日本において「神の声を聴く」という営みがどのような宗教史的・思想史的可能性をもちえたのかを, 大本を事例として検討するものである。大正期大本の思想・実践は, 異端的な神話的世界を語り出しながら, 近代国家が排除した霊魂との直接的交流の道を開くものであった。しかしそれは, 霊魂を統御するという志向性を, 近代天皇制ないし靖国神社などと共有していた部分もあったのではないだろうか。鎮魂帰神法は, 霊魂を発動させて, 鎮静させ, 序列化する試みといえるのだが, それは逆にいえば, 鎮静化させ, 序列化するための発動であり, 高級霊/低級霊, 立替立直/病気治しのヒエラルキーを確認・創出するものでもあったのだ。ただし, 実践のレベルではそのプロセスには不確定領域が広がり, 統御を逃れ出る霊魂の運動を可能にすることになる。出口王仁三郎や浅野和三郎の意図する秩序は越境する霊魂と過剰な欲望によって裏切られてしまうのだ。国家主義的神道の秩序世界を掘り崩す可能性を内包していたのは, じつは王仁三郎の思想・実践そのものではなく, 人びとの野放図な欲望の法‐外さではなかったか。そして, その欲望を賦活する仕掛けとして, 鎮魂帰神法システムは再評価しうるのではないだろうか。近代日本に生きた多くの人びとは, おそらく天皇制国家を下支えする心性と, そこから逸脱しようとする欲望の双方を抱えていたのであり, 鎮魂帰神法の思想と実践は, その両義的なありようを浮かび上がらせ, そこにはらまれる緊張関係を開示してみせるものだったということができる。こうして, 鎮魂帰神法が霊魂をとらえ損ねる営みであったというところにこそ, 近代天皇制国家の論理へと還元されえない民衆宗教としての大正期大本の可能性を読み取ることができるのではないだろうか。

「ソウルメイトは二重橋の向こうに―辛酸なめ子における皇室とスピリチュアリティ」、単著、2015年9月、『人文學報』(京都大学人文科学研究所)107号、pp.103-129.(27p.)
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 本稿は、漫画家・エッセイスト辛酸なめ子の諸作品を読み解くことを通じて、現代日本における象徴天皇制やスピリチュアリティ文化と批判的に対峙する作法について思考するものである。現在、天皇は非政治性を建前とした「象徴」として、またスピリチュアリティ文化は過酷な競争社会を生きる現代人につかの間の「癒し」を提供するものとして、柔和で無害な相貌で存在しているようにみえる。だが、これらの文化/制度は、それを中心にして形成される「空気」のなかで、ときとして暴力性や抑圧性を露わにすることがある。このような暴力性・抑圧性に対する批判は多いが、外部的な視点に立ったイデオロギー批判に代表される従来の批評的言語は、ポストモダンな天皇制やスピリチュアリティ文化を前に、有効性を喪失してしまっているように思われる。そのようななか、興味深い批評の言葉を創出しているのが、辛酸なめ子の作品である。なめ子は、作品のなかで、皇室やスピリチュアリティ文化を題材として積極的に取り上げ、それらを戯画化することでユーモラスな世界を創造する。それは、外部者の立場から“本当のこと”を突きつけるという批判のスタイルが通用しない領域が広がっているなか、天皇制やスピリチュアリティ文化を構成する「空気」に亀裂を入れる批評の言語の可能性を示すものといえるのではないだろうか。

「「宗教」のなかの聖戦/聖戦のなかの「宗教」―天理教の〈ひのきしん〉と勤労報国」、単著、2013年9月、『日本思想史学』(日本思想史学会)45号、pp.181-198.(17p.)

「富士講的妄想力の近代―丸山教と問い」、単著、2013年9月、『現代思想』(青土社)41巻14号、pp.122-131.(10p.)

「宗教文化は誰のものか―『大本七十年史』編纂事業をめぐって」、単著、2013年3月、『日本研究』(国際日本文化研究センター)47号、pp.127-169.(43p.)
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 異なる立場の人びとが「知の協働制作者」として直接的に接触・交渉しあいながら宗教の歴史を描いていく営みを協働表象と名づけ、その意義を明らかにしようとするものである。その事例は、信仰者と宗教研究者が集まって1960年代に行われた『大本七十年史』編纂事業である。大本という宗教団体の70年にわたる歴史を描くというこの事業は、大本に集った人びとの過去だけでなく、現在と未来のありように密接にかかわるものであった。新宗教の矛盾や葛藤に満ちた歴史のなかに研究者が介入し、多様な信仰、多様な経験に秩序を与え、そのざわめきを鎮めていくことは、来るべき信仰や実践のありように規範を提示していくことでもある。彼らによって構築される大本の「本質」は、そこに回収されきらない多様な歴史的経験を排除するか、副次的なものとして劣位に置くことになる。だが、古参の信徒が抱えるそうした歴史的経験や、史料の読解よりも「本質」を優先させる物語の過剰にたいする若手研究者の反発は、首尾一貫した滑らかな歴史が内包する暴力性を浮き彫りにするのである。

「戦前期中山正善における原典・収集・伝道―宗教的世界の構築とその政治的位置をめぐって」、単著、2010年10月、『日本思想史研究会会報』(日本思想史研究会)27号、pp.65-94.(30p.)

「マヨネーズと両義性」、単著、2010年7月、『Cultures/Critiques』(国際日本学研究会)2号、pp.42-67.(26p.)

「飯降伊蔵と「おさしづ」の場―「親神」共同体の危機と再構築」、単著、2008年6月、『宗教研究』(日本宗教学会)356号、pp.143-166.(24p.)
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 天理教をめぐる従来の歴史的研究では、1887年に教祖の中山みきが"現身を隠す″と、親神への信仰によって結びつけられた共同体は合法的な宗教活動の道を探り、その過程で、国家権力への妥協・迎合が露骨に行われるようになったといわれてきた。こうした見方は一面では正しいが、国家協力の事例が強調される一方で、そうしたものの基盤となる、日常的な信仰の営みが見過ごされてきたのではないだろうか。本稿は、みきに代わって親神のことば=「おさしづ」を語り、信徒たちを指導した本席・飯降伊蔵を取り上げ、彼が「おさしづ」を語るにいたるプロセスを跡づけるとともに、信徒たちに注視される彼の心身や語りがどのように共同体を再構築し、信仰を再生産していったのかを明らかにする。伊蔵の「おさしづ」は、親神の意思として観念的に認められただけではなく伊蔵の身ぶりや声、病、語りのことば遣いなどが絶えずみきの記憶を喚起し、さらにそれらを変化させながら信徒たちの信仰を獲得していったのである。

「総力戦と「革新」する天理教」、単著、2008年3月、『近代日本における表象と語り』(平成18‐20年度文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)[家族写真の歴史民俗学的研究]中間報告書・課題番号18320141、研究代表者:川村邦光)、pp.159-227.(69p.)

「天理教の戦争と「真情」のポリティクス―アジア・太平洋戦争期における「ひのきしん隊」の実践と信仰」、単著、2007年12月、『日本思想史研究会会報』(日本思想史研究会)25号、pp.22-42.(21p.)

「教祖の〈死〉の近代―中山みきの表象=祭祀をめぐって」、単著、2007年3月、『大阪大学日本学報』(大阪大学大学院文学研究科日本学研究室)26号、pp.87-104.(18p.)

「歴史の記述と憑依―天理教における「おさしづ」と本席体制」、単著、2006年2月、『文化/批評』(文化/批評[cultures/critiques]編集委員会)冬季号、pp.59-80.(22p.)

「飯降伊蔵論―「おさしづ」と本席体制」、単著、2005年3月、『文化/批評』(文化/批評[cultures/critiques]編集委員会)春季号、pp.291-331.(41p.)


【研究ノート】

「戦後大本の平和運動をめぐる覚え書」、単著、2019年3月、『佛教大学総合研究所紀要』(佛教大学総合研究所)26号、pp.19-26.(8p.)

 大本は、1950〜60年代における日本の宗教者平和運動のなかで、もっともアクティヴな活動をおこなった集団のひとつである。世界連邦運動と原水爆禁止運動に代表される彼らの活動が、戦前期における聖師・出口王仁三郎の思想・実践を受け継いだものであることはよく知られている。だが、その戦前ー戦後の連続性がいかなる葛藤を孕み、戦後の政治状況でどのような意味をもつものであったのかは充分に認識されていない。本稿では、大本の平和運動をめぐる従来のナラティヴを批判的に検討し、この問題にとりくむための予備的な考察を行っている。

「民衆宗教、あるいは帝国のマイノリティ」、単著、2018年10月、『日本思想史学』(日本思想史学会)50号、pp.3-11(9p.)

「教祖の家族写真をめぐる覚え書」、単著、2016年3月、『Cultures/Critiques』(国際日本学研究会)別冊、pp.378-390.(13p.)

「協働表象のためのノート―金光教と民衆宗教論の接触と交渉を中心に」、単著、2010年10月、『東アジアの思想と文化』(東アジア思想文化研究会)3号、pp.53-70.(18p.)

「安丸良夫と「民衆」の原像―『出口なお』について」、単著、2006年3月、『大阪大学日本学報』(大阪大学大学院文学研究科日本学研究室)25号、pp.107-125.(19p.)


【研究史】

「民衆宗教研究の現在―ナラティヴの解体にむきあう」、単著、2017年9月、『日本思想史学』(日本思想史学会)49号、pp.54-67.(14p.)


【書評】

「川橋範子・小松加代子編『宗教とジェンダーのポリティクス : フェミニスト人類学のまなざし』」、単著、2018年6月、『宗教と社会』(「宗教と社会」学会)24号、pp.134-139.(6p.)

「青野正明『帝国神道の形成―植民地朝鮮と国家神道の論理』を読む」、単著、2016年11月、『東アジアの思想と文化』(東アジア思想文化研究会)8号、pp.184-191(8p.)

「岩田文昭著『近代仏教と青年―近角常観とその時代』/碧海寿広著『近代仏教のなかの真宗―近角常観と求道者たち』」、単著、2016年6月、『宗教と社会』(「宗教と社会」学会)22号、pp.43-46(4p.)

「書評 塚田穂高著『宗教と政治の転轍点―保守合同と政教一致の宗教社会学』」、単著、2016年5月、『近代仏教』(日本近代仏教史研究会)23号、pp.193-197.(5p.)

「書評 村上興匡・西村明編『慰霊の系譜―死者を記憶する共同体』」、単著、2015年9月、『近代仏教』(日本近代仏教史研究会)22号、pp.75-77.(3p.)

「書評 Paul L. Swanson, ed., Pentecostalism and Shamanism in Asia」、単著、2014年6月、『宗教研究』(日本宗教学会)88巻1号、pp.220-226.(7p.)
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【討議・座談会】

「討議 歴史としての神道―神道の可能性をめぐって」、伊藤聡、昆野伸幸、斎藤英喜氏と共著、2017年1月、『現代思想』(青土社)2017年2月臨時増刊号、pp.172-198.(17p.)


【新聞記事】

「安丸良夫さんからの宿題に」『京都新聞』2017年4月14日付


【事典項目】

「修行」「守護神(守護霊)」「神像・神体」「断食」、単著、pp.847-848、848-850、857-859
「瞑想」、吉見由起子と共著、pp.895-896
「アイヌ」、川村邦光と共著、pp.437-456
以上、山折哲雄監修『宗教の事典』、2012年10月、朝倉書店、919p.


【資料紹介】

「南山宗教文化研究所「孝本貢文庫」について」、単著、2013年6月、『南山宗教文化研究所研究所報』(南山宗教文化研究所)23号、pp.30-45(16p.)
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【解説など】

「解説・宗教者は「宗教」の淵を覗く」、単著、2012年2月、『コンフリクトの人文学』(大阪大学グローバルCOEプログラム・コンフリクトの人文学国際研究教育拠点)第4号、pp.235-241.(7p.)


【ワークショップレポート】

「シャーマニズム研究から歌の人間学へ―痛みの声を聴く耳を育む試み」、単著、2012年3月、『Cultures/Critiques』(国際日本学研究会)臨時増刊号、pp.149-156.(8p.)

「台湾キリスト教への一視座―藤野陽平『台湾における民衆キリスト教の人類学』合評会」、長澤志穂氏と共編、2014年5月『南山宗教文化研究所研究所報』(南山宗教文化研究所)24号、pp.26-39(14p.)
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【講演記録】

「教祖論は再-開する―新たな関係の生成へ向けて」、単著、2013年6月、『大セレポート』(金光教大阪センター)第3号、pp.2-6.(5p.)


【その他】

「「職場の歴史をつくる会」関連年表」竹村民郎編『〔編集復刻版〕「職場の歴史」関係資料集』六花出版、2017年11月、pp.17-20. (4p.)

「みちのものがたり キリスト街道 青森県:神の子イエスここに眠る!?」『朝日新聞be』2017年7月15日付、でコメント掲載

「新書介紹 『新宗教と総力戦―教祖以後を生きる』/永岡崇」、単著、2016年12月、『臺灣佛教研究』5巻2期