2020年7月19日日曜日

近現代宗教史方法論の会(仮)のこと(1)

この5月に、10人あまりの仲間(スタート時点。この先増えるかもしれないし、減るかもしれない)と、そういう名前の勉強会を立ち上げた。本来的にはもうちょっと面白みのある名前にしたいところなのだが、いろいろ脳内で忖度していたらこんな感じになってしまった。あくまで(仮)である。
備忘録的に、これを始めるにいたった経緯と初志のようなものを書き留めておきたい。ただしこの文章はあくまで一個人の見解で、参加者の共通了解とかではありません。

まずは個人的な事情。
生まれてからずっと(2年だけ名古屋にいたのをのぞいて)慣れ親しんだ関西から去年東京に移ってきて、これから自分はなにをするのか。研究テーマ(ときどき別のこともやっているとはいえ、奈良の天理教と京都の大本がメイン)にしても、研究者とのつながりの面からしても、関西圏に張りつくようにしてやってきたところがあるので、なにかしら違う展開を考えるべきだろうということはしばらく前から頭の片隅にあった。もっとも、当面は今までの流れのつづきというか、宿題になっていることもいろいろあるので、いきなり別のなにかに切り替えるというわけにもいかないのだが。

つぎにやや集団的もしくは制度的な事情。
2018年度から4年間計画で始まった「日本新宗教史像の再構築:アーカイブと研究者ネットワーク整備による基盤形成」(代表・菊地暁さん)という科研に、研究分担者として参加させてもらっている。要はいろんな角度から日本の新宗教研究をアップデートしようという話なのだが、前提というか基礎的な作業として、「新宗教」の概念やら研究史やらを反省的に検討する必要がある。ひとりで論文を読んでもいいのだけれども、やはり各々の解釈をつきあわせて話し合う「場」があるに越したことはない。また、プロジェクトの「研究者ネットワーク整備」という点についていえば、すでに研究者としてある程度の自己形成を遂げた? 人たちをつなぐことも大事だろうが、研究者としての自分をこれからつくっていこうとする人たちのつながりを確保していくこと、場合によっては「場」を設けてそれをサポートしていくことが重要だと思う。というわけで、科研メンバーのHさん、Kさん、あと僕が呼びかけ人的な役割を担ってこの勉強会をはじめようということになった。

現役の大学院生をそう多く知っているわけでもないのだが、なんとなく垣間見るかぎりでは、じっくりとした勉強や議論の「場」が以前より確実に削られているように感じる。僕が大学院にいた2000年代にはすでにそういう気配があったのだと思うけれども、そのころから比べてもかなり状況は厳しい。専業研究者の再生産システムとしての機能が崩壊して久しく、真っ当に良い研究をしていれば食えるようになるという確信を誰も持てなくなっている(確信している人もいるだろうが、それはそういうシンキングの人と言った方がいいような気がする)。

かつてなら大学院進学を考えていたかもしれない大学4年生が卒論もそっちのけで就活に精力を傾け、かつてなら博士課程に進んだかもしれない修士課程生も就活に追われ、2年で完結するテーマを選ばざるをえないという状況になってしまっている。(いや、大学院という環境に慣れるのに何ヶ月かかかり、就活にもっと多くの時間と労力をとられるとしたら、修論に打ち込める時間は1年もないのではないか?)
博士課程の院生も、最近は3年で学位をとるよう強く推奨されているようだ(しかし誰のために?)。すくなくとも僕の感覚ではこれはいかにも慌ただしい(自分は博士課程に入ってから博論を出すまでが6年だった。その間ずっと博論のための準備をしていたのかというとそうでもないわけだが、無駄な時間だったかといえばそうでもない、と思う)。専門外の領域に手を出して火傷したりする余裕もないし、研究室で不毛な議論をたたかわせる暇もないような気がする。他方、社会人院生の存在が大学に新たな可能性をもたらすはずだが、生業との両立でもっと忙しいという人が多いだろう。

したがって、(1)研究職への就職に向けた見通しが悪く、(2)そのためもあって院生の数が減少し、(3)その少ない院生はつねに何かに追われているという三重苦が存在しているのだ(と思う)。大学や分野によっては多少マシな部分はあるのだろうが、五十歩百歩なのではないだろうか。

途中で何の話かわからなくなってきた。要するに、そういった環境のもとでは、院生やポスドクにとって研究というものがつまらなく感じられてくるのではないか、という危機感が僕にはあるということなのである。研究よりも面白いものごとが出てきてそちらに移るというのであれば、もちろんそれはそれでいいわけなのだが、もう少し環境がマシだったらもっと研究が面白くなっていただろうに……ということもけっこうあるのではないか、それは不幸なことなのではないか、という話である。

大学院生を取り巻く環境を改善する、ということにはいろんなレベルがある。一方で学費の無償化や研究助成の拡充、研究者雇用の創出・改善などが必要だろうし、他方で最近注目されている、在野研究の可能性を広げる環境づくりというものも今後は大事になってくると思う。
ただ、いまここで考えたいのはこれらとは少し違うレベルのことで、現在の状況下で若手の議論の「場」をいかに確保するのか、という課題についてである。ここからはもう少し個別的な文脈にそって話を進めよう。

(2020年7月19日しるす。まだつづく)

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